人の死を考える

人の死を考える

人の死というのは一般の方にとってもっとも身近に感じたくはない悲しむべきものと考えられているようですが、私たち看護師はもっとも人の死と身近に向き合い、日々接しているといっていいでしょう。

看護師といっても人の死に触れる機会がほとんどない診療科はありますが、少なくとも私のような総合病院の急性期病棟はもっとも人の死に近い場所と言ってもいいでしょう。

こんなことを言うと誤解されるかもしれませんが、私は人の死をそれほど恐れてはいませんし、生まれる命があれば失われる命もあってこそ生命はバランスがとれていると思っています。

縁起でもないと思われるかもしれませんが、私は時々、これだけさまざまな病気があり、これだけ多くの方が病院に入院して戦っているのに、自分は今のところ何事もなく毎日を暮している。

それは奇跡のようでもあり、また、いつか思いもよらない大きな病気にかかるかもしれないという不安と驚きの入り混じったような不思議な想い緒にかられることがあります。

私が自分の身内で不幸があった時には冷静でいられるのだろうか、病院で患者さんに対するように身内にも接することができるのだろうかなどと考えてしまうこともあります。

最後の死に化粧であるとか、体を服とかそういったことから始まって、自分の身内に対しても冷静でいられるのか、じっくり考えたことは何度かありましたが、何度考えてみてもやはり冷静ではいられないのではないか?冷静でいる自信はないなと思ってしまうのです。

人の死というのは確かに看護師は一般の方よりは接する機会は多いかもしれませんが、いくつ経験してもやはりそう事務的にはできないものですし、軽々しくやり過ごせるものではないと思うのです。

私が看護師として感じられる人の死の重さは、この先何年たってもずっと重く受け止めるしかないものだと思いますし、慣れることのできるものではないと思うのです。

2014年2月16日|